アート思考・デザイン思考が導くステークホルダー合意:地域課題解決における対話と協働の実践ガイド
複雑な地域課題と多様なステークホルダー間の合意形成の難しさ
地域が直面する課題は、少子高齢化、地域経済の衰退、環境問題など多岐にわたり、その解決には行政、住民、NPO、企業、教育機関など、多様な立場や価値観を持つステークホルダーの協力が不可欠です。しかし、これらのステークホルダー間では、課題認識の違い、利害の対立、コミュニケーションの壁などが生じやすく、共通の目標に向かって協働し、合意形成を図ることは容易ではありません。従来の論理やデータに基づくだけのアプローチでは、感情的な側面や潜在的なニーズ、あるいは未来に対する多様なビジョンを十分に捉えきれないことがあります。
このような状況において、アート思考やデザイン思考のアプローチが、硬直化した対話に新たな視点をもたらし、創造的で持続可能な合意形成を促進する可能性を秘めています。本記事では、これらの思考法がどのように多様なステークホルダー間の対話と協働を深め、地域課題解決に向けた合意形成を導くのか、その具体的な手法と実践上のポイントについて解説いたします。
アート思考とデザイン思考がもたらす新しい視点
地域課題解決の文脈において、アート思考とデザイン思考はそれぞれ異なる強みを発揮します。
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アート思考:
- 既成概念や常識にとらわれず、物事の本質に対する独自の「問い」を立てることを重視します。
- 多様なステークホルダーが抱える表層的な意見のさらに奥にある、それぞれの根源的な価値観や内発的な動機を探ることを促します。
- 不確実性や未完了の状態を受け入れ、固定観念を揺さぶることで、対話の場に新しい空気や予期せぬ発見をもたらすことがあります。
- 多様な視点や感情を受け止める受容的な姿勢は、意見の異なる人々の間にある壁を低くする効果が期待できます。
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デザイン思考:
- 人間(ユーザーやステークホルダー)を中心とし、彼らの隠れたニーズや課題を「共感」を通じて深く理解することから出発します。
- 観察、インタビューなどの手法を用いて、多様な人々の視点や経験を収集し、客観的に分析します。
- 課題を明確に定義し、多様なアイデアを発想し、それを素早く「プロトタイプ」(試作品や簡易的な計画)として形にし、フィードバックを得ながら改善を繰り返す反復プロセスを重視します。
- このプロセスは、抽象的な議論だけでなく、具体的なモノや体験を通じて対話を進めることを可能にし、共通理解を促進します。
アート思考による本質的な問いかけと、デザイン思考による人間中心のアプローチおよびプロトタイピング思考を組み合わせることで、多様なステークホルダー間の対話はより豊かになり、表面的な合意にとどまらない、より深く、共感に基づいた合意形成が可能となります。
ステークホルダー間の対話・合意形成におけるアート思考・デザイン思考の実践プロセス
ここでは、アート思考とデザイン思考のプロセスになぞらえながら、多様なステークホルダーとの対話・合意形成を進める実践的なステップをご紹介します。
1. 共感・理解フェーズ:多様な「声」と「想い」に耳を澄ます
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アート思考的アプローチ:本質的な問いかけで奥にある想いを引き出す
- 会議やワークショップの冒頭で、「そもそも、なぜ私たちはここに集まっているのだろう?」「私たちが本当に大切にしたい未来とは?」といった、根源的な問いを投げかけます。これにより、参加者が普段意識しない自身の内なる動機や価値観に気づき、共有するきっかけを作ります。
- 個々のステークホルダーの立場や意見を、「それはなぜ、あなたにとって重要なのですか?」と問いを深めることで、背景にある想いや経験を引き出します。
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デザイン思考的アプローチ:観察と共感を通じて「声なき声」を捉える
- 公式な会議だけでなく、非公式な場での観察や、個別のデプスインタビューを行います。特に、普段あまり発言しない人や、反対意見を持つ人の声に丁寧に耳を傾けます。
- 共感マップやペルソナを作成し、それぞれのステークホルダーが「見ていること」「聞いていること」「考えていること・感じていること」「言っていること・やっていること」、そして「痛み(課題)」や「利得(望み)」を整理・共有します。これにより、互いの立場や感情を理解する土壌を耕します。
2. 問題定義フェーズ:多様な視点から共通の課題を明確にする
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アート思考的アプローチ:課題を問い直し、新たな視点で見つめ直す
- 集まった多様な情報や共感を通じて見えてきたことをもとに、「私たちが本当に解決すべき問題は何だろうか?」と改めて問い直します。当初想定していた課題が、実は別の要因に起因していることに気づくこともあります。
- 抽象的な言葉だけでなく、写真、イラスト、物語などを用いて、多様なステークホルダーが抱える課題を表現し、共有することで、感覚的な理解を深めます。
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デザイン思考的アプローチ:Point of View (PoV) を設定する
- 共感フェーズで得られたインサイト(洞察)をもとに、「〇〇(特定のステークホルダー)は、△△(ニーズ)だと感じている。なぜなら□□(インサイト)だからだ。」といったPoVを複数設定します。
- これらの複数のPoVを並べ、議論することで、多様な視点を含んだ、より本質的な課題定義(HMW: How Might We? - どのようにすれば私たちは〜できるだろうか?)にたどり着くことを目指します。
3. アイデア創出フェーズ:枠にとらわれない多様な解決策を生み出す
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アート思考的アプローチ:非線形な発想を促す
- 制約を取り払い、「もし予算が無限にあったら?」「もし魔法が使えたら?」など、非現実的と思えるような問いやブレインストーミングを取り入れます。これにより、従来の思考の枠を超えたアイデアを引き出します。
- アート作品の鑑賞や、異なる分野の事例を参照するなど、普段接しない刺激を取り入れることで、発想を豊かにします。
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デザイン思考的アプローチ:量と多様性を重視し、具体的なアイデアに落とし込む
- ブレインストーミングやKJ法などを用いて、多様なステークホルダーからアイデアをできるだけ多く、批判せずに収集します。
- 集まったアイデアを、実現可能性、新規性、ステークホルダーへのインパクトなどの観点から分類・整理し、いくつかの promising なアイデアに絞り込みます。アイデアを具体的なコンセプトや簡単なイラスト、物語として表現し、共有します。
4. プロトタイピング&テストフェーズ:小さく試して学びを得る
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デザイン思考的アプローチ:アイデアを形にし、フィードバックを得る
- 生まれたアイデアを、コストや時間をかけずに、最もシンプルで具体的な形(プロトタイプ)にしてみます。これは物理的な模型だけでなく、サービスの流れを示したストーリーボード、役割分担を決めた簡単な寸劇、あるいは参加型のワークショップの設計案など、様々な形が考えられます。
- このプロトタイプを、主要なステークホルダーに見せたり、体験してもらったりして、率直なフィードバックを収集します。「これは私たちの課題を解決できそうか?」「もっと良くするためには何が必要か?」といった問いを投げかけます。
- 得られたフィードバックをもとに、アイデアやプロトタイプを改善し、再度テストすることを繰り返します。この反復プロセスを通じて、ステークホルダー間の理解は深まり、合意形成は強固なものとなっていきます。
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アート思考的アプローチ:プロセス自体や試行錯誤から学びを得る
- プロトタイピングの「失敗」をネガティブに捉えず、そこから得られる学びや気づきを重視します。失敗は、新しい問いを生み、理解を深める貴重な機会であると捉えます。
- 完成品だけでなく、プロトタイピングのプロセスそのものや、参加者の変化、対話の中で生まれた感情の動きなどを観察し、そこから意味を見出そうとします。
実践上の留意点と課題への対処
アート思考・デザイン思考を活用したステークホルダー間の合意形成には、以下のような留意点や課題が伴います。
- 時間とコスト: プロセスを丁寧に進めるためには、ある程度の時間とそれに伴うコストがかかります。特に、多様なステークホルダーの参加を促し、継続的な対話の場を設けるための調整が必要です。
- 対処法: スモールスタートを心がけ、限られたリソースで効果的なプロトタイピングやワークショップを設計します。プロセスの途中段階でも、得られた小さな成果や変化を可視化し、ステークホルダーに共有することで、継続への理解と協力を求めます。
- すべての意見の統合の難しさ: 多様な意見の中には、どうしても折り合いがつかないものや、対立が解消されない場合があります。
- 対処法: アート思考的な視点から、対立そのものを「多様な価値観が存在する」という事実として受け止め、その中に含まれる異なるニーズや不安を丁寧に探ります。デザイン思考のプロセスを通じて、対立するニーズを同時に満たすような、これまでにない新しいアイデア(創造的統合)を目指します。また、必ずしも全員一致ではなく、プロセスへの「納得感」や「共感」をどこまで高められるかを目標とすることも重要です。
- 感情的な側面への配慮: 過去の経緯や個人的な感情が対話に影響を与えることがあります。
- 対処法: 対話の場に心理的安全性を確保するための環境づくりを徹底します。安心して意見を言え、感情を表現できる雰囲気を作るファシリテーションが不可欠です。アート思考の手法(例:感情を色や形で表現するワーク)や、物語を共有する時間を設けることも有効です。
- 成果の可視化と評価: プロセス自体に価値があるアート思考・デザイン思考の成果は、定量的な指標で捉えにくい場合があります。
- 対処法: プロセスの中で生まれた関係性の変化、参加者の意識変容、新しいアイデアの質、対話の深まりなどを、質的な情報(参加者の声、観察記録、ワークショップの成果物など)として丁寧に記録し、共有します。プロトタイプを通じて得られた定性的なフィードバックも重要な成果です。無形の成果をストーリーとして語ることも、関係者の理解と評価を深めるために有効です。
まとめ
地域課題解決における多様なステークホルダー間の対話と合意形成は、非常に複雑で挑戦的なプロセスです。しかし、アート思考による本質的な問いかけと多様性の受容、デザイン思考による人間中心のアプローチと実践的なプロトタイピング思考を組み合わせることで、このプロセスに新たな光を当てることができます。
これらの思考法は、表面的な意見の調整にとどまらず、参加者一人ひとりの内なる想いや価値観を尊重し、異なる視点から課題を捉え直し、創造的な解決策を共に見出すことを可能にします。失敗を恐れずに試行錯誤を繰り返し、プロセスそのものから学びを得る姿勢は、変化の激しい地域社会において、よりしなやかで持続可能な関係性と合意を築くための重要な鍵となります。
地域における実践者の皆様が、アート思考とデザイン思考を羅針盤として、多様な人々との対話を深め、共に未来を創造していくための一助となれば幸いです。