アート思考・デザイン思考で地域課題を「見える化」:関係者との共通理解を深める実践ツールと手法
地域課題の複雑性と「見える化」の重要性
地域が直面する課題は、少子高齢化、産業衰退、空き家増加、住民間の無関心など、単一の原因では説明できない複雑な要素が絡み合っています。これらの課題解決に取り組む際、多様な立場の人々(住民、自治体職員、NPO、企業など)が関わるため、課題に対する認識や理解が異なり、議論が深まらない、あるいは誤解が生じるといった事態に陥ることが少なくありません。
このような状況を打開し、関係者間で共通の課題認識を持ち、効果的な解決策を共に考えていくためには、「課題の見える化」、すなわち複雑な状況や人々の思い、関係性を視覚的に捉え、共有することが非常に有効です。ここで、アート思考とデザイン思考のアプローチが、課題の「見える化」を深める上で力を発揮します。
アート思考が拓く「新しい視点での可視化」
アート思考は、既存の枠にとらわれず、自らの内なる衝動や興味に基づいて「新しい問い」を立てることから始まります。地域課題の文脈でアート思考を取り入れることは、客観的なデータだけでは見えない、人々の感情、歴史、文化、そして未来への漠然とした不安や希望といった、定性的な側面や潜在的な課題を浮かび上がらせるのに役立ちます。
具体的には、以下のようなアプローチが考えられます。
- 問いを起点とした観察: 「なぜこの場所には活気がないように見えるのだろう?」「この風景からどんな感情が生まれるのだろう?」といった問いを持ちながら地域を歩き、写真、スケッチ、メモなどで気づきを記録します。これは、データでは捉えきれない「雰囲気」や「感覚」を可視化する試みです。
- 違和感や直感の探求: 地域で活動する中で抱いた「なぜこうなっているのだろう?」という違和感や、「こうなったら面白いのに」という直感を大切にし、それらを言語化したり、簡単な図やイメージで表現したりします。これにより、既存の議論では出てこない、本質的な問いや新しい可能性を可視化できます。
- 非線形な思考の図示化: 課題の原因や要素を論理的な構造図だけでなく、感情や関係性の複雑さを表現するために、リッチピクチャーのような手法(複雑な状況を図と短い言葉で多角的に表現する手法)を取り入れることも有効です。
アート思考による可視化は、論理だけでなく感性や直感を扱い、課題の多面性や深層に光を当てることを目指します。
デザイン思考による「共感に基づく構造的な可視化」
デザイン思考は、人間のニーズや視点から出発し、課題を定義し、創造的な解決策を考え、プロトタイプを作り、テストすることを繰り返す体系的な問題解決アプローチです。特に共感(Empathize)と定義(Define)の段階では、徹底的な「見える化」が行われます。
デザイン思考における可視化は、主に以下のような手法で実践されます。
- 共感マップ (Empathy Map): ユーザー(地域住民や関係者)が「何を考え・感じているか (Says, Thinks, Feels)」、「何を見ているか (Sees)」、「何を聞いているか (Hears)」、「何を言っているか・行っているか (Does)」を一つの図にまとめます。これにより、表面的な言動の裏にあるユーザーの本音や課題をチームで共有しやすくします。
- ペルソナ (Persona): 典型的なユーザー像を、名前、年齢、職業、ライフスタイル、ニーズ、目標、課題などを具体的に設定して物語のように描写します。これにより、抽象的な「住民」ではなく、特定の個人としてのユーザー視点をチーム内で共有し、共感を深めます。
- カスタマージャーニーマップ (Customer Journey Map): ユーザーが特定の体験(例:地域イベントへの参加、公共サービスの利用など)をする際のプロセスを時間軸で追い、各段階での行動、思考、感情、タッチポイント(接点)を可視化します。これにより、ユーザーがどこで困っているのか、どのような体験を求めているのかを明確に捉えることができます。
- 課題定義 (Point of View - POV): 共感の段階で得られた洞察をもとに、「[ユーザー]は[ニーズ]を必要としている、なぜなら[洞察]だから」という形式で課題を明確に定義します。これもまた、チームが解決すべき核となる問いを可視化する重要なステップです。
デザイン思考による可視化は、ユーザー中心の視点を構造的に整理し、チームメンバーが共通理解のもとに課題に取り組むための基盤を築きます。
アート思考とデザイン思考を組み合わせた実践的な可視化手法
地域課題の解決においては、アート思考の「新しい視点での問い」とデザイン思考の「人間中心のアプローチと構造化」を組み合わせることで、より多角的かつ実践的な可視化が可能になります。
例えば、以下のような手法が考えられます。
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ワークショップでの可視化:
- 付箋と模造紙: 最も手軽で強力なツールです。アイデア出し、課題の要素分解、関係性の整理、優先順位付けなど、多様な議論のプロセスをリアルタイムで可視化できます。アート思考的な「自由な発想」を促しつつ、デザイン思考的な「要素の整理・構造化」に活用できます。
- リッチピクチャー: 複雑な関係者間の力学や、感情的な側面、曖昧な状況などを一枚の絵や図で表現します。参加者それぞれの視点や感じ方を自由に描き込むことで、言葉だけでは捉えきれない状況の全体像と多様な解釈を「見える化」します。アート思考的な感性や直感を活かしつつ、デザイン思考的な課題定義の入り口としても機能します。
- プロセス・フロー図: 住民が地域サービスを利用する流れ、あるいは地域課題が発生してから顕在化するまでのプロセスなどを図示化します。これにより、課題がプロセスのどの段階で生じているのか、ボトルネックはどこかなどを具体的に可視化できます。デザイン思考のジャーニーマップを発展させた形です。
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フィールドワークでの可視化:
- フォトボイス / ビジュアル・エッセイ: 住民自身にカメラを渡し、地域の好きな場所や困っている場所、日々の生活などを撮影してもらい、その写真について語ってもらいます。住民の視点や感情を直接的に可視化し、共感を深める強力な手法です。アート思考的な「表現」とデザイン思考的な「共感」を組み合わせたアプローチです。
- 感覚マップ: 特定の場所や活動に対して、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚といった五感で何を感じるかを記録し、マップ上にプロットします。これにより、データだけでは分からない、その場所や活動の持つ「雰囲気」や「質」を多角的に可視化できます。アート思考的な身体感覚の探求と、デザイン思考的なユーザー体験の分析をつなぎます。
実践上の留意点と課題
地域課題の可視化をアート思考・デザイン思考で行う際には、いくつかの留意点があります。
- 「見える化」自体を目的としない: 可視化はあくまで課題を理解し、解決策を生み出すための手段です。美しい図やマップを作ることに終始せず、それが次の議論や行動にどうつながるかを常に意識する必要があります。
- 参加者との共通言語を持つ: 専門的な図法やツールを用いる場合、参加者がその読み方や意図を理解できるよう、丁寧な説明や簡単なワークで慣れる時間を持つことが重要です。参加者の背景に合わせたツールの選択やアレンジが求められます。
- 感情やセンシティブな情報の扱い: 可視化のプロセスで、参加者の個人的な感情や地域内の対立構造などが明らかになることがあります。これらをどのように安全に、かつ建設的に扱うか、ファシリテーターの技量が問われます。信頼関係の構築と、安心して話せる場の設定が不可欠です。
- 抽象化と具体化のバランス: 複雑な状況を分かりやすく抽象化する一方で、具体的なエピソードやデータに基づいていることを忘れないようにする必要があります。抽象化しすぎると現実味が失われ、具体的すぎると全体像が見えにくくなります。
- 継続的なプロセスとして捉える: 地域課題は常に変化します。一度可視化して終わりではなく、プロジェクトの進行に合わせて可視化する内容を見直したり、更新したりする姿勢が重要です。
まとめ:可視化がひらく地域共創の可能性
アート思考とデザイン思考による地域課題の「見える化」は、単に情報を整理するだけでなく、多様な関係者の視点や感情、そして潜在的な可能性を表面化させ、共通の基盤の上で対話を深めるための強力な手法です。アート思考がもたらす自由な発想と新しい問い、デザイン思考がもたらす人間中心の構造的なアプローチを組み合わせることで、複雑な地域課題の本質に迫り、共感と共創に基づいた実践へとつなげることができます。
今回ご紹介したツールや手法はあくまで一例です。最も重要なのは、地域の状況や参加者に合わせて柔軟にアプローチを調整し、「どうすればこの課題を、私たちみんなが自分事として捉え、共に考えられるだろう?」という問いを持ち続けることです。ぜひ、あなた自身の地域での活動において、これらの「見える化」の力を試してみてください。