地域における多様性包摂をアート思考・デザイン思考でデザインする実践ガイド
はじめに:地域における多様性包摂の重要性とアート・デザイン思考の役割
地域の活性化や課題解決に取り組む際、私たちは様々な背景を持つ人々が共に暮らす環境に直面します。高齢者、子育て世代、障害のある方、外国人、性的マイノリティ、特定の技能を持つ職人、引きこもりの経験者など、地域には多様な人々が存在します。しかし、既存の仕組みやプロジェクトは、必ずしもすべての人の声やニーズを十分に拾い上げられていない場合があります。
地域における多様性の包摂(インクルージョン)とは、単に多様な人々が存在する状態を指すのではなく、一人ひとりが尊重され、その違いが豊かさとして活かされるとともに、社会参加の機会が公平に提供される状態を目指すものです。このような包摂的な地域社会を築くことは、持続可能な地域課題解決のために不可欠です。
本稿では、地域における多様性包摂型のプロジェクトをどのように構想し、実行していくかについて、アート思考とデザイン思考の視点から探求します。アート思考の「問いを立てる」力と、デザイン思考の「共感」と「実践」のプロセスが、多様な人々の潜在的なニーズや可能性を引き出し、共に解決策を創り出す上でいかに有効であるかを解説いたします。
多様性包摂とは何か:地域文脈での理解と課題
地域における多様性包摂は、単に特定のマイノリティグループに配慮することだけを意味しません。年齢、性別、国籍、文化、価値観、身体的・精神的な特性、社会経済的な状況など、様々な違いを持つすべての人々が、地域社会の一員として認められ、安心して暮らせ、活動に参加できる環境を創り出すことを目指します。
地域課題解決の文脈において、多様性包摂が十分に考慮されない場合、以下のような課題が生じがちです。
- 声なき声の見落とし: 積極的に発言しない人々や、既存の集まりに参加しにくい人々のニーズや意見がプロジェクトに反映されない。
- 既存の枠組みからの脱却困難: 当たり前と思われている前提が疑われず、画一的な解決策に陥る。
- 一部の住民に負担が集中: プロジェクトへの参加や運営が、特定の層(例: 活動的な中間層)に偏り、持続性が失われる。
- 新たな分断の発生: プロジェクトの恩恵を受ける人々と、そうでない人々との間に新たな隔たりが生じる。
アート思考は、既成概念にとらわれず、本質的な「問い」を立てることを重視します。「そもそも、この地域に暮らす多様な人々にとっての『より良い暮らし』とは何か?」「誰のどんな声がまだ聞けていないのか?」といった問いは、多様性のレンズを通して地域の課題を捉え直す出発点となります。一方、デザイン思考は、対象への深い「共感」をプロセスの中核に置きます。これは、多様な人々一人ひとりの状況、感情、価値観を理解しようとする姿勢に繋がり、画一的なサービスではなく、それぞれのニーズに応じた柔軟な解決策の模索を可能にします。
アート思考による「問い」の設定:多様な視点からの課題発見
アート思考は、地域における多様性包摂プロジェクトにおいて、まず「当たり前を疑い、本質的な問いを立てる」段階でその威力を発揮します。地域課題解決の議論では、「高齢者の孤立を防ぐ」「空き家を活用する」といった具体的な目標設定から入ることが多いですが、アート思考では一歩立ち止まり、より根源的な問いを立てます。
例えば、「高齢者の孤立」という課題に対して、アート思考では以下のような問いを立てることができます。
- 「なぜ、人々は孤立を感じるのだろうか? 物理的な距離だけの問題か?」
- 「孤立は『悪』なのだろうか? 一人でいることを心地よいと感じる人もいるのではないか?」
- 「地域における『つながり』とは、どのような状態を指すのか? それは誰にとってどのような意味を持つのか?」
- 「コミュニティという言葉には、含まれる人と含まれない人がいるのだろうか? その境界線はどこにあるのか?」
これらの問いは、問題の表面だけでなく、その背景にある人間の感情、価値観、社会構造に光を当てます。多様性包摂の視点からは、「地域における『当たり前』のつながり方や参加の仕方が、特定の属性の人々を排除していないか?」といった問いが重要になります。例えば、日中の活動が中心のプロジェクトは働く世代や学生には参加しづらいかもしれません。声が大きい人や社交的な人が中心になり、内向的な人や自分の意見を表現するのが苦手な人は埋もれてしまうかもしれません。アート思考による問いは、このような見過ごされがちな多様な状況に気づきをもたらします。
この段階でのポイントは、すぐに答えを出そうとしないことです。問いを立て、その問いを多様な人々と共有し、それぞれの視点から考えてもらうこと自体が、多様な価値観の存在を認識し、プロジェクトの土台をより強固なものにします。地域の多様なステークホルダー(住民、専門家、NPO、行政、事業者など)と共に問いを探求するワークショップなどを企画することも有効です。
デザイン思考による「共感」と「定義」:多様なステークホルダーへの深い理解
アート思考による問いの設定を経て、デザイン思考のプロセスが多様な人々を深く理解するために始まります。デザイン思考は、常に人間(ユーザー)を中心に据えます。地域課題解決における「ユーザー」は、地域に暮らす多様な人々すべてです。
デザイン思考の最初の段階である「共感」(Empathize)では、多様な人々の生活や考え方を、先入観を持たずに理解しようと努めます。これには、以下のような手法が有効です。
- フィールドワーク: 実際に多様な人々の生活の場を訪ね、観察する。バリアフリーの状況、地域イベントへの参加状況、日常の買い物ルートなどを注意深く見る。
- デプスインタビュー: 多様な背景を持つ人々に、彼らの経験、感情、ニーズ、価値観について深く語ってもらう。形式ばらず、相手が安心して話せる雰囲気を作る工夫が必要です。例えば、高齢者には自宅で、子育て世代には子どもと一緒に参加できる場所で、障害のある方にはアクセスしやすい場所を選ぶなど、物理的な配慮も重要です。
- ジャーニーマップ/ペルソナ作成: インタビューや観察で得られた情報をもとに、特定の属性を持つ人々の典型的な一日や、特定の課題に対する行動・感情の推移を可視化する。複数のペルソナを作成することで、多様なニーズの存在をチーム内で共有しやすくなります。この際、ネガティブな側面だけでなく、それぞれの人が持つ強みや地域との関わり方にも注目することが、包摂的な視点を育む上で大切です。
共感の段階で集めた膨大な情報をもとに、デザイン思考の次の段階である「定義」(Define)に進みます。ここでは、多様な人々の真のニーズや課題を明確に定義します。単なる表面的な要望ではなく、なぜそのような要望が生まれるのか、その背後にある感情や価値観に焦点を当てます。
例えば、「地域の交流拠点が少ない」という意見の背景に、「特定の趣味を持つ仲間が見つからない」「年齢や体力の違いで既存の活動に参加しにくい」「初めての場所に行くのが不安」といった多様な理由があることが、共感のプロセスを通じて明らかになるかもしれません。定義の段階では、「〇〇という状況にある人々は、△△という理由から、▽▽というニーズを抱えている。彼らにとっての本当の課題は□□である」というように、具体的な言葉で課題を再定義します。この定義は、多様な人々の視点から生まれた、より本質的な課題となります。
「アイデア創出」と「プロトタイピング」:多様な参加者を含む共創プロセス
多様な人々の真の課題が定義されたら、デザイン思考の「アイデア創出」(Ideate)と「プロトタイピング」(Prototype)の段階に移ります。多様性包摂型プロジェクトでは、この段階に可能な限り多様な人々を巻き込むことが重要です。
アイデア創出: 定義された課題に対して、多様な参加者が自由な発想でアイデアを出し合うワークショップなどを開催します。ブレインストーミングのルール(批判しない、自由に発想する、量より質、組み合わせる)を守りつつ、すべての参加者が安心して発言できる場づくりが求められます。
- ファシリテーションの工夫: 声の大きな人に議論が偏らないよう、全員が順番に発言する機会を設けたり、ポストイットを使って匿名でアイデアを出せるようにしたりします。異なる意見や立場の違いを否定せず、「そういう考え方もあるのですね」と肯定的に受け止める姿勢が、多様な参加者にとって安全な場となります。
- 表現方法の多様化: 言葉での表現が苦手な人のために、絵や粘土、ジェスチャーなどでアイデアを表現できる時間を取り入れたり、写真や絵カードなどの視覚的なツールを活用したりすることも有効です。
- 異なる背景を持つ人々の組み合わせ: 意図的に年齢、職業、地域での役割などが異なる人々をグループに混ぜることで、多様な視点からのユニークなアイデアが生まれやすくなります。
プロトタイピング: 生まれたアイデアの中から実現可能性やインパクトの高いものを選び、素早く形にするのが「プロトタイピング」(Prototype)です。多様性包摂の観点からは、以下の点が重要です。
- インクルーシブなプロトタイプ: アイデアの試作品は、多様な利用者がアクセス・理解・利用しやすいように考慮します。例えば、イベントの企画であれば、車椅子利用者の動線、聴覚障害者への情報伝達方法、高齢者のための休憩スペースなどを検討します。ウェブサイトやアプリであれば、文字サイズの変更機能、音声読み上げ機能、シンプルな操作性を意識します。
- 多様な人々によるテスト: 作成したプロトタイプを、定義段階で協力してくれた多様な人々を含むターゲットユーザーに実際に試してもらい、フィードバックを得ます。様々な立場の人に使ってもらうことで、想定外の使いづらさや隠れたニーズが発見できます。
- 失敗から学ぶ姿勢: プロトタイプは完璧を目指すものではなく、テストから学びを得るためのものです。多様な人々からの正直なフィードバックは、プロジェクトをより良いものにするための貴重な情報です。失敗を恐れず、むしろ多様な視点からの気づきを得る機会と捉える姿勢が大切です。
多様性を力に変える実践手法と課題・対処法
多様性包摂型プロジェクトを推進する上で、実践的な手法とともに、現場で直面しがちな課題とその対処法を把握しておくことが重要です。
実践手法の例
- 参加型ワークショップの設計と運営:
- 事前準備: 多様な参加者を募るための告知方法(行政回覧板、NPOネットワーク、SNS、口コミ、個別声かけなど)を多角的に検討します。会場は誰もがアクセスしやすい場所を選び、必要に応じて送迎や介助者の手配も検討します。
- 当日の配慮: 休憩を多めに取る、飲食を用意する、託児サービスを提供するなど、参加しやすい環境を整えます。アイスブレイクで心理的安全性を確保し、専門用語を使わない、ゆっくり話すなど、コミュニケーション方法にも配慮します。手話通訳や情報保障が必要な参加者がいないか、事前に確認することも重要です。
- 記録方法: 発言内容だけでなく、雰囲気や参加者の表情なども記録し、多様な意見が後で見返せるように工夫します。
- 中間支援者の活用: 特定の属性(例: 外国人コミュニティ、障害者団体)と地域社会をつなぐ中間支援組織や個人との連携は非常に強力です。彼らは多様な人々のニーズを深く理解しており、プロジェクトへの参加を促したり、必要なサポートを提供したりする上で重要な役割を果たします。
- 地域の既存リソースの活用: 地域の公民館、集会所、寺社、空き店舗など、多様な人々が関わる可能性のある既存の「場」やネットワークを活用します。必ずしも新しい場所を作る必要はありません。
- 小規模・低予算での開始: まずは特定のテーマや対象に絞り、小規模なワークショップやイベントから始めます。そこで得られた学びを次に活かすことで、無理なく多様性包摂の取り組みを広げることができます。
現場で直面しがちな課題と対処法
- 意見対立や価値観の違い: 多様な人々が集まれば、当然意見の対立や価値観の違いが生じます。
- 対処法: 対立を恐れず、むしろ多様な視点の表れとして歓迎します。ファシリテーターは中立的な立場を保ち、それぞれの意見の背景にあるニーズや感情を丁寧に聞き出します。共通点や共に大切にしたい価値観を探る対話を通じて、合意形成やより高次の解決策を目指します。「アート思考の問いとデザイン思考のプロトタイピング:地域課題解決の新しい連携アプローチ」で述べたような、問いを通じて議論を深めたり、小さな試行錯誤で共通理解を図ったりする手法が有効です。
- 参加者の温度差: プロジェクトへの関心度やコミットメントは人によって異なります。
- 対処法: すべての人に同じレベルの参加を求めるのではなく、多様な関わり方の選択肢を提供します。情報提供を中心に関わる人、時々イベントに参加する人、企画段階から深く関わる人など、それぞれの関心やライフスタイルに合わせた入口を用意します。
- 限られたリソース(予算・時間・人手): 多様性への配慮は、追加的なコストや手間がかかる場合があります。
- 対処法: 地域のNPOやボランティア、行政の補助金、企業のCSR活動など、外部リソースの活用を検討します。また、「予算がなくてもできる!地域リソースの創造的活用ガイド」で述べたように、高価な設備や専門知識がなくても、アイデア次第で解決できることもあります。最も切実なニーズを持つ層に焦点を絞るなど、優先順位をつけることも必要です。
- 「特別扱い」への誤解: 多様なニーズへの配慮が、特定の層への「特別扱い」と見なされ、反発を招くことがあります。
- 対処法: 多様性包摂の目的(誰もが暮らしやすい地域は、結果としてすべての人にとって暮らしやすい地域になること)を丁寧に説明し、共通理解を深めます。プロジェクトが特定の誰かのためだけでなく、地域全体のメリットに繋がることを具体的に示すことが重要です。
成果の可視化と共有:多様な視点からの評価
多様性包摂型プロジェクトの成果は、参加者の内面的な変化や人間関係の構築など、数値化しにくい無形の価値が多く含まれます。これらの成果を適切に評価し、共有することは、プロジェクトの持続や拡大、そして地域全体への多様性包摂の意識浸透のために不可欠です。
「アート思考・デザイン思考プロジェクトの『見えにくい成果』を評価・報告する方法」でも解説されているように、以下のような手法が有効です。
- 定性的な評価: 参加者へのインタビュー、アンケートの自由記述欄、ワークショップでの発言記録、日記やブログ形式での振り返りなど、多様な人々の声や変化を定性的に収集します。プロジェクトが個々の参加者のウェルビーイングにどのような影響を与えたか、地域への愛着や安心感に変化があったかなどを丁寧に聞き取ります。
- 物語(ナラティブ)の収集: プロジェクトを通じて生まれた個人的なエピソードや変化の物語を集めます。これらの物語は、数値データだけでは伝わらない、プロジェクトの人間的な価値を伝える上で非常に powerful です。
- 観察記録: プロジェクトの進行中に、参加者の様子や関係性の変化を観察し、記録します。特に、普段あまり発言しない人が発言するようになった、異なる世代や背景の人々が自然に交流するようになった、といった変化は重要な成果です。
- 可視化ツールの活用: 参加者の声や物語を、写真、イラスト、映像、グラフ、マップなど、多様な形式で可視化します。これらの可視化された成果は、報告会などで多様な人々と共有する際に、理解を深める手助けとなります。
- 多様な人々による評価: プロジェクトの評価プロセス自体にも、多様な人々を巻き込みます。参加者自身が、プロジェクトの良かった点や改善点を語り合う機会を設けることで、より多角的な視点からの評価が可能になります。
まとめ:持続可能な多様性包摂型地域社会のために
地域における多様性包摂は、一朝一夕に達成できるものではありません。それは、地域に暮らす多様な人々一人ひとりの存在を認め、その声に耳を傾け、共に未来を創っていく継続的なプロセスです。
本稿で見てきたように、アート思考は、地域における多様性の本質的な意味や、見過ごされがちな課題に対し、新たな問いを立てることを促します。デザイン思考は、その問いに対する答えを、多様な人々の深い理解(共感)から始め、共創的なアイデア創出と実践(プロトタイピング)を通じて形にしていく具体的なプロセスを提供します。
これらの思考法を組み合わせることで、私たちは単なる「課題解決」に留まらず、地域に暮らす多様な人々が互いを認め合い、尊重し合える、より豊かで活力ある包摂的な地域社会をデザインしていくことができるのです。
地域の活動に携わる皆様が、アート思考とデザイン思考を羅針盤として、多様な人々と共に創造的な地域づくりを進めていかれることを願っております。