地理的制約を超えて:アート思考・デザイン思考によるオンライン地域共創の実践ガイド
はじめに:地域共創の新たな舞台としてのオンライン環境
地域課題解決に向けたアート思考やデザイン思考の実践において、多様な関係者の「共創」は不可欠な要素です。しかし、地理的な距離、参加者のスケジュール調整の難しさ、移動コストなど、地域ならではの物理的な制約が共創の機会を限定することも少なくありません。このような背景から、近年、オンライン環境を活用した地域共創の実践に注目が集まっています。
オンラインツールやプラットフォームの進化により、時間や場所の制約を超えた対話やワークショップが可能になりつつあります。本記事では、アート思考とデザイン思考のフレームワークをオンライン環境でどのように活用し、地域における創造的かつ実践的な共創を実現できるのか、その可能性と具体的な手法について解説いたします。
オンライン実践がもたらす可能性と直面する課題
オンライン環境での地域共創実践は、以下のような新たな可能性を開きます。
- 地理的制約の克服: 遠隔地に住む関係者や、移動が困難な方でも容易に参加できます。
- 多様な参加者の獲得: 平日の昼間は参加できない社会人、子育て中の保護者など、これまで参加が難しかった層へのアクセスが容易になります。
- コスト削減: 会場費や交通費、印刷費などの物理的なコストを削減できます。
- 記録・共有の容易さ: オンライン上での対話や成果物はデジタルデータとして記録されやすく、後からの参照や共有が容易です。
一方で、オンラインでの実践には特有の課題も存在します。
- 非言語情報の伝達不足: 表情や声のトーン、場の空気といった非言語情報が伝わりにくく、参加者の感情や深い意図を把握しにくい場合があります。
- ITリテラシーの格差: 参加者間のデジタルツールの習熟度に差がある場合、スムーズな進行が妨げられる可能性があります。
- エンゲージメントの維持: 対面と比べて集中力を持続させることが難しく、参加者の積極的な関与を引き出すための工夫が必要です。
- 偶発的な交流の創出: 会議前後の雑談や休憩時間の立ち話といった、予定調和ではない偶発的な交流が生まれにくい環境です。
これらの課題を理解した上で、アート思考およびデザイン思考のプロセスをオンライン環境に適合させるための具体的なアプローチを検討することが重要です。
オンライン環境におけるアート思考の実践
アート思考は、既成概念にとらわれず、自身の内面や感覚と向き合い、「なぜそうなるのか」「本当にこれでよいのか」といった「問い」を立てることから始まります。このプロセスをオンラインで実践するためには、以下のような工夫が考えられます。
- 「問い」の共有と深掘り:
- オンラインホワイトボードツール(Miro, Muralなど)を活用し、中心に問いを配置し、参加者が各自の考えや連想するキーワード、イメージなどを付箋形式で貼り付けていきます。これにより、思考の軌跡や多様な視点を視覚的に共有できます。
- チャット機能を活用して、思いついた問いや疑問を即座に共有し、議論を深めることも有効です。
- 感覚的・内省的な要素の引き出し方:
- ブレイクアウトルーム機能を活用し、少人数での対話を通じて、よりパーソナルな感覚や内省を共有する時間を作ります。
- オンライン上で共有できる画像、音楽、短文のテキストなどを刺激材として用い、参加者の内面的な反応や連想を引き出すワークを取り入れることも効果的です。
- 各自が手元で描いたスケッチや作成物をカメラ越しに見せ合うといったアナログとデジタルの融合も考えられます。
- 多様な視点の共有:
- オンラインストレージや共有ドキュメント(Google Drive, Dropbox, Google Docsなど)に、テキストだけでなく、写真、動画、音声データなど、様々な形式の情報をアップロードし、全員で参照できるようにします。これにより、地域の実態や多様な側面に対する多角的な理解を深めることができます。
オンライン環境では、非言語情報が限られるため、参加者が安心して自分の感覚や思考を開示できるような、心理的安全性の高い場づくりが特に重要になります。ファシリテーターは、意図的に発言の機会を均等に提供したり、否定的な意見を丁寧に受け止めたりする配慮が求められます。
オンライン環境におけるデザイン思考の実践
デザイン思考は、「共感」「問題定義」「アイデア創出」「プロトタイピング」「テスト」という5つのフェーズを循環的に行うことで、人間中心の解決策を生み出す手法です。それぞれのフェーズをオンラインで実践するための具体的なステップを見ていきましょう。
- 共感 (Empathize) フェーズ:
- オンラインインタビュー: ビデオ会議ツールを用いて、対象となる地域住民や関係者へのインタビューを行います。画面越しの対話になりますが、事前に質問リストを共有したり、話しやすい雰囲気を作ったりすることで、深い話を聞き出すことが可能です。
- オンライン観察: 可能な範囲で、対象者の日常のオンラインでの行動(SNS投稿、オンラインコミュニティでの発言など、公開情報に限る)を観察したり、共有された写真や動画から状況を読み取ったりします。
- 情報整理とインサイト発見: インタビューや観察で得られた情報は、オンラインホワイトボードや共同編集可能なドキュメントに集約します。参加者各自が気づきや共感したポイントを付箋やコメントで書き込み、情報間の関連付けを行いながら、潜在的なニーズや課題(インサイト)を発見していきます。
- 問題定義 (Define) フェーズ:
- 共感フェーズで見出したインサイトや課題を、オンラインホワイトボード上で集約・分類します。
- 「〇〇(対象者)は△△(状況)なので、□□(ニーズ)する必要がある」といった「Point Of View (POV)」ステートメントを共同で作成し、解決すべき具体的な課題を明確に定義します。オンラインでの共同編集機能が有効です。
- アイデア創出 (Ideate) フェーズ:
- オンラインブレインストーミングツールやオンラインホワイトボードを活用し、「POV」に対する解決策のアイデアを量産します。各自が付箋をオンライン上に貼り付け、アイデアを共有・発展させます。テキストだけでなく、簡単なスケッチやイメージ画像を貼り付けることも推奨します。
- ブレイクアウトルームを使って少人数で集中的にアイデアを出し合った後、全体で共有するといった進め方も効果的です。
- プロトタイピング (Prototype) フェーズ:
- オンライン上でアイデアを具体化するための簡易的なプロトタイプを作成します。例えば、
- ウェブサイトやアプリの画面遷移図(描画ツール、プロトタイピングツール、あるいはオンラインホワイトボードで作成)
- サービスの利用シナリオを説明するストーリーボード(オンラインホワイトボード、共同編集プレゼンツールで作成)
- フライヤーや告知文案のモックアップ(共同編集ドキュメント、デザインツールで作成)
- コンセプトを説明する短い動画やプレゼンテーション
- 物理的なものを作る場合は、各自が手元で作成し、カメラ越しに見せたり、写真を共有したりします。
- オンライン上でアイデアを具体化するための簡易的なプロトタイプを作成します。例えば、
- テスト (Test) フェーズ:
- 作成したプロトタイプを、ビデオ会議ツールを通じて対象者(地域住民など)に見てもらい、フィードバックを収集します。
- プロトタイプを操作してもらう必要がある場合は、画面共有機能や、共同編集可能なオンラインツール(例: Google Docsでシナリオを追体験、簡単なクリックテストができるツール)を工夫して使用します。
- 得られたフィードバックは、オンライン上の共有スペースに集約し、次の改善に向けた示唆として活用します。
オンラインでのデザイン思考実践では、各フェーズの目的を明確にし、それに適したオンラインツールを効果的に組み合わせることが鍵となります。
具体的なオンラインツールとその活用例
地域課題解決のためのアート思考・デザイン思考オンライン実践で役立つ代表的なツールと活用例です。
- ビデオ会議ツール(Zoom, Microsoft Teams, Google Meetなど):
- 活用例: 全体会議、インタビュー、少人数での対話(ブレイクアウトルーム)、プロトタイプの共有と説明、テスト時のフィードバック収集。
- オンラインホワイトボード(Miro, Mural, Jamboardなど):
- 活用例: 「問い」の共有と深掘り、共感フェーズでの情報整理(アフィニティダイアグラム)、問題定義(POV作成)、アイデア創出(ブレインストーミング、アイデアの分類・整理)、プロトタイピングの簡易モック作成、活動全体の可視化。共同作業のハブとして最も汎用性が高いツールの一つです。
- 共同編集ツール(Google Docs, Sheets, Slidesなど):
- 活用例: 事前情報の共有、インタビューログの記録、議事録作成、アイデアの詳細化、ストーリーボード作成、プレゼン資料作成、アンケート回答の集約と分析。
- タスク・プロジェクト管理ツール(Trello, Asanaなど):
- 活用例: プロジェクトの進捗管理、タスク分担、アイデアの実行計画の管理。
- アンケート・フォームツール(Google Forms, Typeformなど):
- 活用例: 事前情報の収集、参加者のニーズ把握、テスト時のフィードバック収集、活動後の満足度調査。
- コミュニケーションツール(Slack, LINEなど):
- 活用例: プロジェクトメンバー間の日常的な連絡、情報共有、非公式な対話。
これらのツールは単独で使用するのではなく、目的に応じて組み合わせて活用することで、オンライン環境でも創造的で効率的な共創プロセスを設計することが可能です。多くのツールには無料プランが用意されており、小規模・低予算のプロジェクトでも導入しやすい場合があります。
オンライン実践を成功させるためのポイント
オンラインでのアート思考・デザイン思考実践を実りあるものにするためには、いくつかの重要なポイントがあります。
- 明確な目的設定と丁寧な事前準備: なぜオンラインで行うのか、その活動を通じて何を達成したいのかを明確にし、参加者にも事前に共有します。使用するツールの選定、操作方法の説明、必要な資料の配布など、準備を徹底することで当日の混乱を防ぎます。
- ファシリテーションの工夫: オンラインでは参加者の状態を把握しにくいため、より意図的で丁寧なファシリテーションが求められます。参加者が安心して発言できる雰囲気作り、全員に満遍なく発言を促す工夫、チャット機能やリアクション機能を活用した非言語コミュニケーションの補完、休憩時間の適切な設定などが必要です。
- ツールの選定と操作サポート: 参加者のITリテラシーを考慮し、できる限りシンプルで使い慣れたツールを選びます。必要に応じて、事前の練習会や簡単な操作マニュアルを用意するなど、参加者がツールに不安なく取り組めるようなサポート体制を整えます。
- 参加者のデジタルデバイドへの配慮: スマートフォンしか持っていない、インターネット環境が不安定、高齢でPC操作に不慣れなど、デジタルデバイドの可能性がある参加者への配慮は不可欠です。電話での個別フォロー、郵送での資料共有、あるいは一部対面でのサポートを組み合わせるなど、柔軟な対応が求められます。
- 場の雰囲気作りとアイスブレイク: オンラインでも対面に近い心理的な距離感や一体感を生み出すために、冒頭に簡単な自己紹介やチェックインを行う、背景画像を工夫する、ブレイクアウトルームで雑談の時間を設けるなど、アイスブレイクやリラックスできる雰囲気作りを意識します。
実践事例(抽象的)
例えば、ある地域で少子高齢化による担い手不足という課題に対し、アート思考・デザイン思考を用いてオンラインで解決策を検討するプロジェクトを考えます。
- 共感/問い: 若者・高齢者・子育て世代など、地域の様々な立場の人々へのオンラインインタビューを実施。「この地域で暮らし続ける上で感じる豊かさや不安」「将来の地域に期待すること」といった問いを投げかけ、各自の経験や感情、価値観を共有してもらいます。得られた情報と、行政が持つ人口動態や地域資源に関するデータをオンラインホワイトボードに集約し、「この地域で、多様な世代が共に安心して暮らすためには?」といった問いや、そこから見えてきた潜在的な課題(例: 「地域の活動情報が特定の層にしか届かない」「世代間の交流機会が限定的」)を定義します。
- アイデア創出: 定義された課題に対し、「どのようにすれば、より多様な住民が地域の活動に参加したくなるか?」「世代を超えた自然な交流を生み出すには?」といった問いからアイデア発想ワークをオンラインホワイトボードで実施。各自が思いついたアイデア(オンライン交流プラットフォーム、世代間交流イベント、地域スキルシェアなど)を付箋形式で貼り付け、アイデアを組み合わせて発展させます。
- プロトタイピング/テスト: 出されたアイデアの中から有望なものをいくつか選び、簡易的なオンラインプロトタイプを作成します。例えば、「オンライン交流プラットフォーム」なら画面イメージと主な機能リスト、「世代間交流イベント」ならオンライン告知ページのモックアップや開催シナリオ。これらを少数のターゲット住民に見てもらい、ビデオ会議を通じてフィードバックを収集。「もっとシンプルな操作が良い」「イベントの内容が自分事として感じられない」といった具体的な意見を得て、アイデアを改善していきます。
このように、オンライン環境を活用することで、これまで参加が難しかった層を巻き込み、多様な視点を取り入れながら、地域課題に対する創造的で実践的なアプローチを進めることが可能になります。
まとめ:オンライン実践が拓く地域共創の未来
アート思考とデザイン思考をオンライン環境で実践することは、地域課題解決における共創の可能性を大きく広げるものです。地理的・時間的制約を超え、これまでリーチできなかった多様な人々との対話や協働を実現し、より包摂的で創造的なプロセスを設計することができます。
もちろん、オンラインならではの課題も存在しますが、適切なツール選定、丁寧なファシリテーション、そして参加者への配慮を通じて、これらの課題を乗り越えることは十分に可能です。オンラインでの実践は、対面での活動を完全に置き換えるものではなく、むしろ、対面とオンラインそれぞれの利点を組み合わせたハイブリッドなアプローチが、今後の地域共創の主流となる可能性も考えられます。
地域における創造的な実践を目指す専門家、自治体職員、NPO職員、地域活動家の皆様にとって、オンライン環境をアート思考・デザイン思考の実践の場として積極的に活用することは、新たな視点や解決策を発見し、地域にポジティブな変化をもたらすための一助となるでしょう。本記事が、皆様のオンラインでの地域共創実践に向けた一歩を踏み出すための一助となれば幸いです。