住民の潜在ニーズを引き出すデザイン思考「共感」:地域課題解決の鍵となる深い理解の実践
地域が抱える課題は多岐にわたり、表面的な現象だけを捉えても、根本的な解決には至らないことが少なくありません。人口減少、高齢化、産業の衰退、コミュニティの希薄化など、複雑に絡み合った課題に対峙するには、そこに暮らす人々の声に耳を傾け、その根底にある思いや潜在的なニーズを深く理解することが不可欠です。
デザイン思考における「共感」は、まさにこの「深い理解」を可能にする重要なフェーズです。単に相手の話を聞くだけでなく、その人の立場に立ち、感情、動機、そして隠されたニーズを感じ取ろうとする試みです。本稿では、このデザイン思考の「共感」を、地域課題解決の実践においてどのように活かすことができるのか、その意義と具体的なアプローチについて解説します。
地域課題解決における「共感」の意義
デザイン思考のプロセスは通常、「共感 (Empathize)」「定義 (Define)」「アイデア出し (Ideate)」「プロトタイプ (Prototype)」「テスト (Test)」という流れで進みます。最初のステップである「共感」は、続くすべての活動の基盤となります。地域課題解決においても、共感の質がその後のプロジェクトの方向性や成果を大きく左右すると言えます。
なぜなら、地域には多様な人々が暮らし、それぞれ異なる価値観や経験を持っています。表面的には同じ課題に見えても、その課題をどのように捉え、どのような困難を感じているかは人それぞれです。行政の統計データや既存の報告書だけでは見えてこない、住民一人ひとりのリアルな暮らしや声なき声、そして彼ら自身も気づいていない潜在的なニーズに光を当てることが、共感の目的です。この深い理解があって初めて、真に地域に根ざし、人々の心に響く解決策を「定義」し、「アイデア」を生み出し、「プロトタイプ」を共につくり、「テスト」を通じて改善していくことが可能になります。
地域における「共感」の実践ステップ
地域での共感の実践は、都市部や企業での実践とは異なる配慮が必要です。地域特有の人間関係、慣習、そして世代間のコミュニケーションの違いなどを理解し、信頼関係を丁寧に築きながら進めることが成功の鍵となります。
ステップ1:誰に共感するかを明確にする
まず、解決しようとしている課題に関わるステークホルダー(利害関係者)を特定します。住民はもちろんですが、NPO職員、自治体職員、事業者、教育関係者、高齢者、若者、子育て世代、移住者など、課題によって関わる人々は異なります。特に、普段あまり声を聞く機会がない人々、いわゆる「声なき声」を持つ人々に意識的に焦点を当てることも重要です。誰のどのような状況を理解したいのか、具体的にリストアップしてみましょう。
ステップ2:多様な手法で共感に必要な情報を収集する
共感に必要な情報は、単に「困っていること」を聞くだけでは得られません。その人の行動、言葉、感情、そして周りの環境を多角的に観察し、感じ取ることが重要です。地域での実践で有効な代表的な手法をいくつかご紹介します。
- インタビュー: ターゲットとなる人々に直接話を聞く最も基本的な手法です。「〜についてどう思いますか?」といった質問だけでなく、「〜の時、どのように感じましたか?」「〜する際に工夫していることはありますか?」など、具体的な体験や感情を引き出す質問が有効です。カフェや自宅など、相手がリラックスできる場所で行う、少人数で時間をかけて話を聞くなど、信頼関係を築く工夫が必要です。
- 観察: ターゲットとなる人々が日常生活や特定の活動を行っている様子を、邪魔にならないように観察します。例えば、地域住民が買い物をする様子、公園での過ごし方、バスの乗り降り、地域のイベントでの振る舞いなどを観察することで、言葉にならない行動や習慣、環境との関わりが見えてきます。
- 参加(シャドウイング/没入): ターゲットとなる人々の活動に一緒に参加したり、一定期間そのコミュニティに入り込んだりすることで、内部からの視点を得る手法です。例えば、地域の清掃活動に参加する、高齢者サロンに顔を出す、農作業を手伝うなどです。実際に体験することで、初めて気づく苦労や喜び、暗黙のルールなどがあります。
- ジャーニーマップ作成: 特定の体験(例: 病院に行く、買い物を楽しむ、子育てをする)について、ターゲットとなる人の行動、思考、感情を時系列でマッピングする手法です。一連のプロセスの中で、どの段階でどのような困難や喜びを感じているのか、感情の起伏を可視化することで、課題や機会を発見しやすくなります。
- ペルソナ作成: 収集した情報をもとに、特定のターゲット像を「人物モデル」として具体的に描写する手法です。年齢、職業、家族構成といった基本的な情報に加え、その人の目標、価値観、悩み、日々の行動パターンなどを詳細に記述します。このペルソナを通じて、チーム内でターゲットへの共通理解を深め、議論の際に「この人だったらどう感じるか?」と常に立ち返ることができます。
これらの手法を単独で使うのではなく、複数組み合わせて用いることで、より多角的で深い理解を得ることができます。また、地域での共感活動では、調査者と被調査者という関係ではなく、共に地域を良くしていく仲間として接する姿勢が非常に重要です。
ステップ3:得られた共感の情報を分析し、インサイトと潜在ニーズを特定する
収集した膨大な情報(インタビューの文字起こし、観察メモ、写真、動画など)を整理し、分析します。付箋にキーワードやエピソードを書き出し、模造紙の上にグループ化したり、デジタルツールを活用したりする方法があります。
分析の目的は、単なる事実の羅列ではなく、そこから「インサイト」(洞察)を見つけ出すことです。インサイトとは、「なぜ人々はそのように行動するのか」「その行動の背景にある本当の理由や感情は何か」といった、人々の行動や考え方の核心に迫る発見です。例えば、「高齢者が買い物が大変だと言っている」という事実は単なる現象ですが、「重い荷物を持って坂道を登るのが体力的に辛く、誰かに迷惑をかけたくないという気持ちから外出を控えている」という背景にある感情や動機こそがインサイトとなり得ます。
さらに、インサイトから潜在ニーズを特定します。潜在ニーズとは、人々自身も明確に言葉にしていないが、その行動や状況の背景にある満たされていない欲求や願望です。上記の例で言えば、「楽に買い物がしたい」という顕在ニーズの裏に、「自立した生活を続けたい」「地域との繋がりを持ち続けたい」といった潜在ニーズがあるかもしれません。この潜在ニーズこそが、革新的なアイデアや解決策を生み出すヒントとなるのです。
地域課題解決への「共感」応用事例
例えば、ある高齢化が進む地域の「空き家問題」に取り組むケースを考えてみましょう。単に空き家を利活用するアイデアを出す前に、地域住民への共感活動を行います。
- インタビュー: 空き家の持ち主(またはその親族)、近隣住民、地域の不動産業者、移住者候補などにインタビュー。「なぜ空き家になったのか」「空き家があることでどんな影響があるか」「どのように活用されてほしいか」などを尋ねます。
- 観察: 空き家周辺の環境、近隣住民の交流の様子、地域の雰囲気などを観察します。
- 参加: 地域のイベントに参加し、住民がどのような会話をしているか、地域に対する思いなどを感じ取ります。
これらの共感活動から、以下のようなインサイトが得られたとします。 * 持ち主は物理的な距離や高齢を理由に管理ができず困っているが、先祖代々の家への愛着があり、手放したくないという気持ちが強い。 * 近隣住民は、空き家の荒廃を心配しているが、持ち主との関係性もあり直接言えないでいる。防犯や景観への不安を感じている。 * 地域の若い世代は、新たなコミュニティスペースや活動拠点を求めているが、既存の場所は使いづらいと感じている。
これらのインサイトから、単に空き家を解体・売却するのではなく、「持ち主の愛着を尊重しつつ、管理の負担を軽減し、地域にも貢献できるような中間的な利用形態(例:地域住民や団体が管理・利用するシェアスペース、短期的な活動拠点など)」のニーズや、「空き家の状態や活用の可能性に関する正確な情報提供と、持ち主と利用希望者を繋ぐ信頼できる仕組み」のニーズといった潜在ニーズが見えてきます。
このように、共感を通じて得られた深い理解とインサイト、潜在ニーズが、「定義」フェーズでの課題設定をより本質的なものにし、その後の「アイデア出し」において、既存の枠にとらわれない、地域に根ざした創造的な解決策を生み出す源泉となるのです。
実践上の課題と解決策
地域での共感実践には、いくつかの課題が伴うことがあります。
- 時間の制約・予算の制約: 大規模な調査は難しい場合が多いです。しかし、小規模でも質の高い共感は可能です。数名の住民にじっくり話を聞く、特定の場所に繰り返し通い観察するなど、リソースに合わせて手法を工夫しましょう。
- 住民の非協力・無関心: 急に現れた部外者への警戒心や、これまでの活動への諦めから、協力が得られないことがあります。まずは地域に足を運び、イベントに参加するなどして顔と名前を覚えてもらうことから始め、信頼関係を丁寧に築くことが何よりも重要です。協力的なキーパーソンを見つけることも有効です。
- 多様な意見の対立: 地域には異なる立場や意見を持つ人がいるのは当然です。共感は、対立する意見のどちらが「正しい」かを判断することではなく、「なぜそう感じるのか」「その背景に何があるのか」を理解することにあります。多様な意見を否定せず受け止め、それぞれの視点を理解しようと努める姿勢が、対話の扉を開きます。
- 声なき声、潜在ニーズの見つけにくさ: 積極的に発言しない人、自身のニーズを言語化するのが苦手な人もいます。インタビューだけでなく、観察や参加、あるいは一緒に何か作業をする中で自然と出てくる言葉や行動に注意を払うことが大切です。アート的な手法(絵やコラージュで表現してもらうなど)が有効な場合もあります。
まとめ
デザイン思考の「共感」は、地域課題解決の最初にして最も重要なステップです。地域に暮らす人々の声に深く耳を傾け、彼らの生活、感情、隠されたニーズを理解しようと努めることから、真に地域に必要とされる解決策が生まれます。
共感の実践は、単なる情報収集にとどまらず、地域の人々との関係性を築き、共に課題解決に取り組むための信頼の基盤となります。時間や予算、あるいは住民の反応に課題を感じることもあるかもしれませんが、本稿で述べたような多様な手法や、地域ならではの丁寧なコミュニケーションを心がけることで、質の高い共感を実現することは可能です。
ぜひ、あなたの地域課題解決プロジェクトにおいて、デザイン思考の「共感」を意識的に取り入れ、住民一人ひとりの声から、新たな可能性を見出してください。深い共感が、きっとあなたの活動を次のステップへと導いてくれるはずです。