地域ビジョン策定へのアート思考・デザイン思考アプローチ:関係者との共通認識を築く方法
地域課題解決におけるビジョンの重要性とアート思考・デザイン思考の役割
地域における様々な課題に対し、多くの専門家、NPO職員、自治体職員、地域活動家の方々が日々取り組んでおられます。しかし、個別の課題解決に終始するだけでは、地域全体の持続的な発展や、住民一人ひとりが希望を持てる未来を描くことは困難です。ここで重要となるのが、「どのような地域を目指すのか」という共通のビジョンを持つことです。明確で魅力的なビジョンは、多様な関係者のベクトルを合わせ、共感を呼び、主体的な行動を促す羅針盤となります。
この地域ビジョン策定において、近年注目されているのがアート思考とデザイン思考の応用です。アート思考は、既存の枠組みにとらわれずに本質的な問いを立て、新たな価値や意味を生み出すことに焦点を当てます。一方、デザイン思考は、人間(ユーザー)中心のアプローチで課題を発見し、共感に基づいて問題を定義し、プロトタイプを通じて解決策を具体化していくプロセスを重視します。これら二つの思考法を組み合わせることで、単なる現状分析に基づく計画に留まらない、未来志向で創造的、かつ関係者との共感を伴う地域ビジョンの策定が可能となります。
本記事では、アート思考とデザイン思考を地域ビジョン策定にどのように活用できるか、そして多様な関係者間でどのように共通認識を築き、ビジョンを共有していくかについて解説します。
アート思考によるビジョン策定へのアプローチ
アート思考は、論理性や効率性よりも、感性や直感を重視し、「なぜそうなのか?」「本当にこれで良いのか?」といった本質的な問いを立てることから始まります。地域ビジョン策定においては、以下のような点でアート思考が有効です。
- 前提を疑い、既成概念を超えた発想を促す: 「地域活性化=観光客誘致」「高齢化=課題」といった紋切り型の捉え方から離れ、「この地域のユニークな本質は何か?」「高齢化が進むことで生まれる新しい可能性は?」といった問いを立てます。これにより、従来見過ごされてきた地域の価値や、新たな未来の兆しに気づくことができます。
- 抽象的で本質的な問いを立てる: 具体的な問題解決策を考える前に、「私たちはどのような関係性の中で生きたいか?」「この地域らしさとは何か?」といった、より哲学的で深い問いを立てます。この問いの探求そのものが、ビジョンの核となる価値観を明確にすることにつながります。
- 感覚的・感情的な側面を重視する: データや論理だけでなく、地域の人々が「こうありたい」と感じる未来、ワクワクするような未来像を大切にします。アート作品が鑑賞者の感情に訴えかけるように、ビジョンも人々の心に響くものでなければ、共感や主体的な行動は生まれません。
アート思考は、ビジョン策定の初期段階において、従来の思考フレームから抜け出し、未来の可能性を大きく広げるための「視座の転換」をもたらします。
デザイン思考によるビジョン策定へのアプローチ
アート思考がビジョンの「源泉」を深く探求するのに対し、デザイン思考は探求から得られた洞察を具体的な「形」にし、関係者と共有可能なものにしていくプロセスに強みがあります。
- 共感に基づくニーズ・願望の理解: 地域住民や多様な関係者(ステークホルダー)の視点に立ち、彼らが「本当に」求めていること、無意識の願望、そして地域に対する愛着や誇りを深く理解することから始めます。フィールドワーク、インタビュー、ワークショップなどを通じて、表面的な課題だけでなく、そこに暮らす人々の感情や文化的な背景に寄り添います。
- 問題の再定義: 集めた情報をもとに、最初の課題設定が適切だったかを見直し、本質的な問題を人間中心の視点から再定義します。これは「ビジョンの対象となる人々にとって、最も重要なことは何か?」という問いにつながります。
- アイデア創出とプロトタイピング: 再定義された問題(または目指す未来)に対して、多様なアイデアを出し合い、実現可能性にとらわれずに発想を広げます。そして、最も有望なアイデアやビジョンの一部を、絵や模型、寸劇、ストーリーボードなど、様々な形で素早く「プロトタイプ」として形にします。
- テストとフィードバック: 作成したプロトタイプを関係者に見てもらい、フィードバックを収集します。「このビジョンは魅力的か?」「自分事として捉えられるか?」といった問いを投げかけ、得られた意見を基にビジョン案を iterative(反復的)に改善していきます。
デザイン思考は、アート思考で描いた抽象的な未来像を、関係者が理解・共感し、議論に参加できる具体的な形に落とし込み、磨き上げていくための実践的な手法を提供します。
両者の連携による地域ビジョン策定のステップ
アート思考とデザイン思考を連携させた地域ビジョン策定は、以下のようなステップで進めることが考えられます。
- アート思考による「問い」の設定: 地域の現状や課題に対する前提を問い直し、「この地域が本当に大切にしたいことは何か?」「100年後のこの地域はどのような姿であるべきか?」といった、抽象的で本質的な問いを立てます。この問いは、以降のプロセス全体の方向性を定めます。
- 共感に基づく現状と未来の探索(デザイン思考): 設定した問いを胸に、地域住民や関係者への深い共感を持って、彼らの生活、歴史、文化、そして未来への期待や不安を探求します。インタビュー、観察、共感マップなどのツールが有効です。これにより、ビジョンが根ざすべき現実と、そこからの飛躍のヒントを得ます。
- 洞察からビジョン要素の抽出(アート思考・デザイン思考): 探索で得られた多様な情報、本質的な問いへの気づきから、「核となる価値観」「目指すべき状態」「大切にしたい関係性」といったビジョンの要素を抽出します。これは、アート思考的な「気づき」と、デザイン思考的な「情報整理・意味づけ」の組み合わせです。
- ビジョンアイデアの創出とプロトタイピング(デザイン思考): 抽出された要素を基に、具体的な未来のイメージやストーリー、活動のアイデアを多様な手法(ブレインストーミング、ワークショップなど)で生み出します。そして、ビジョンの本質を伝えるためのプロトタイプ(ビジョンボード、未来の新聞記事、ショートストーリー、イラストなど)を作成します。
- プロトタイプの共有と対話(デザイン思考): 作成したプロトタイプを地域住民や関係者と共有し、率直なフィードバックや新たなアイデアを引き出す対話の場を設けます。これは単なる説明会ではなく、共にビジョンを「共創」するプロセスです。ワークショップ形式や、カフェでのフランクな対話など、関係性が深まるような工夫が重要です。
- ビジョンの洗練と成文化: 得られたフィードバックを基にビジョン案を洗練させ、多くの人が理解し、共感できる言葉やイメージで成文化します。この際、硬い報告書のような形式だけでなく、ビジョンブックやウェブサイト、映像など、様々なメディアを活用して魅力的に伝えることも検討します。
このプロセスは線形ではなく、必要に応じて前のステップに戻る iterative な進め方となります。
関係者との共通認識を築くための工夫
多様な人々が関わる地域において、ビジョンに対する共通認識を築くことは容易ではありません。アート思考・デザイン思考のアプローチは、この課題に対する有効な示唆を与えてくれます。
- 視覚化とストーリーテリング: 抽象的な言葉だけでなく、写真、イラスト、図解、映像などを用いてビジョンを視覚的に表現することが非常に有効です。また、「ビジョンが実現した未来では、人々の暮らしがどのように変わるのか」といったストーリーを語ることは、より多くの共感を生みます。プロトタイプはこの視覚化・ストーリーテリングに役立ちます。
- 参加型のプロセス: ビジョン策定の初期段階から、できるだけ多くの関係者にプロセスに参加してもらうことが重要です。「自分たちの意見が反映されている」という感覚は、ビジョンへの主体的な関わりを生み出します。ワークショップ、未来洞察セッション、アイデアソンなどが効果的です。
- 対話と傾聴: 多様な意見や価値観が存在することを前提に、それぞれの声に耳を傾け、対話を通じて相互理解を深める場を意図的に設けます。アート思考が促す「問い」は、一方的な説明ではなく、深い対話を生むきっかけとなります。デザイン思考の共感フェーズで培われる傾聴の姿勢も不可欠です。
- 小さな成功体験の共有: ビジョンはすぐに全てが実現するわけではありません。ビジョンにつながる小さなプロジェクトを立ち上げ、その成果を関係者と共有することで、「このビジョンは実現可能かもしれない」という希望や信頼感を醸成できます。デザイン思考のプロトタイピングは、この小さな一歩を踏み出す練習にもなります。
実践上の留意点と課題
アート思考・デザイン思考を用いたビジョン策定は強力な手法ですが、実践にあたってはいくつかの留意点や課題があります。
- 抽象的なビジョンと具体的な行動計画の接続: アート思考で生まれた抽象的なビジョンを、具体的なプロジェクトや活動にどう落とし込んでいくかという課題があります。デザイン思考のプロトタイピングや、サービスデザイン、プロジェクトマネジメントの手法と組み合わせることで、このギャップを埋めることができます。
- 多様な意見の集約と対立の解消: 参加型プロセスは多様な意見を引き出しますが、それらをどのように集約し、ビジョンとして統合するか、あるいは意見の対立にどう対処するかは難しい課題です。ファシリテーションスキルや、対立を乗り越えるための創造的なアプローチ(例:共通の「問い」に戻る)が求められます。
- 時間と予算の制約: 共感に基づいた丁寧なプロセスや複数回のプロトタイピング、関係者との対話には、一定の時間と予算が必要です。特に小規模プロジェクトや自治体内部での実践においては、これらの制約の中でいかに質を担保するかが課題となります。プロセスを工夫し、最小限の資源で最大限の共感を得る方法を検討する必要があります。
- 長期的な視点の維持: ビジョン策定は終わりではなく始まりです。策定されたビジョンをいかに地域に根付かせ、日々の活動の指針とし、必要に応じて見直していくかという長期的な視点が不可欠です。これは組織文化や地域風土の変革にも関わるため、地道な取り組みが求められます。
まとめ
地域課題解決において、単なる問題解決に留まらず、より良い未来を創造するためには、地域が共有できる明確で魅力的なビジョンが不可欠です。アート思考は既成概念を超えた本質的な問いを立て、未来の可能性を大きく広げる視座を提供します。デザイン思考は、その問いや可能性を人間中心のアプローチで探求し、具体的な形として関係者と共有・共創していくための実践的なプロセスを提供します。
これら二つの思考法を連携させることで、多様な関係者の共感を呼び、主体的な参加を促す地域ビジョンを策定することが可能となります。視覚化、参加型プロセス、丁寧な対話などを通じて共通認識を築き、小さな一歩から実践を重ねることで、抽象的なビジョンは次第に現実のものとなっていきます。
地域実践者の皆様にとって、アート思考とデザイン思考を用いたビジョン策定が、活動の新たな羅針盤となり、地域の創造的な未来を拓く一助となれば幸いです。