五感を研ぎ澄ます：アート思考・デザイン思考で地域課題の本質に触れる実践ガイド
地域課題の解決を目指す際、データ分析やヒアリングといった論理的なアプローチはもちろん重要です。しかし、地域に長く根ざした課題や、住民自身も気づいていない潜在的なニーズに迫るためには、表面的な情報だけでは不十分な場合があります。そこで注目したいのが、私たちの「五感」を意識的に活用するアプローチです。
アート思考が重視する「感性」や「違和感からの問い」、デザイン思考が核とする「共感」や「現場での観察（フィールドワーク）」といった要素は、まさに五感をフル活用することで深まります。本記事では、アート思考とデザイン思考の視点から、五感をどのように地域課題発見や共感醸成に活かせるのか、具体的な実践方法を解説いたします。
なぜ地域課題解決に五感が必要なのか
地域が抱える課題は、時に複雑で多層的です。数字や言葉だけでは捉えきれない、その場所特有の雰囲気、歴史、文化、人々の間の非言語的な関係性といった要素が深く関わっていることがあります。
例えば、空き家問題一つをとっても、単に建物の物理的な状況だけでなく、過去の住人の記憶、近隣住民の思い、地域の賑わいの変化といった見えない要因が絡み合っています。こうした「見えない」要素に気づくためには、論理的な思考に加え、感性や直感、そして身体的な感覚、すなわち五感を研ぎ澄ますことが有効です。
アート思考は、既存の枠組みや常識にとらわれず、自身の内面から湧き上がる感性や違和感を大切にし、それらを「問い」として深掘りすることを促します。この感性は、対象を観察する際に五感を通じて得られる情報と密接に関わっています。
デザイン思考は、ユーザー（地域住民など）への深い共感から出発します。共感を得るためには、彼らの言葉を聞くだけでなく、彼らが生活する場に実際に足を運び、彼らの「見る」「聞く」「嗅ぐ」「触れる」「味わう」といった日常の体験を追体験しようと努めることが不可欠です。これはまさに、五感を活用したフィールドワークの中核をなす要素です。
地域課題発見に活かす五感の具体的な視点
五感を意識的に活用することで、これまで見過ごしていた地域の情報に気づき、新たな課題や可能性を発見することができます。以下に、それぞれの五感に焦点を当てた具体的な視点を挙げます。
- 見る（視覚）： 地域の景観、建物の色や形、街の清潔さ、人の表情や仕草、案内板のデザイン、ゴミの放置状況、活気のある場所とそうでない場所のコントラストなど。写真や動画で記録するだけでなく、心に留まった「違和感」や「美しい」と感じた点をメモします。
- 聞く（聴覚）： 自然の音（鳥の声、風の音）、生活音（子供の声、商店街の呼び込み）、交通音、地域の祭りやイベントの音、人々の話し声のトーンや速さ、特定の場所で繰り返される音など。録音したり、どのような音が心地よく、どのような音が不快かなどを記録します。
- 嗅ぐ（嗅覚）： 土や植物の匂い、潮の匂い、工業地帯や農業地域の匂い、飲食店や商店の匂い、特定の場所で感じる不快な匂いなど。匂いは記憶と強く結びつくため、その匂いから連想される地域の歴史や文化、生活様式に思いを馳せてみます。
- 触れる（触覚）： 建物の壁の質感、道の舗装状況、公園の遊具の手触り、自然素材（木、石）の感触、気温や湿度、風の強さ、人との接触から感じる温度感など。身体で感じる物理的な情報から、地域の特性や課題を推測します。
- 味わう（味覚）： 地域の特産品、普段口にする水や空気、住民と共に食事をする中で感じる食の味や雰囲気など。食は文化や交流の中心となることが多く、味わう体験を通じて地域の暮らしや人々の繋がりを深く理解できます。
これらの五感による情報収集は、単なる記録に留まりません。集めた情報を基に、デザイン思考の「共感マップ」を作成したり、アート思考の「なぜそう感じるのだろう？」という問いを立てたりすることで、観察から得た気づきを深め、課題の本質に迫る手がかりとします。
五感を活用した実践ステップ
五感を意識的に地域課題解決に活かすための具体的なステップをご紹介します。
- 目的の設定と観察計画： どのような地域課題に関心があるのか、またはどのような場所について理解を深めたいのか、目的を明確にします。その上で、どの場所で、いつ、どのような五感を意識して観察するか、大まかな計画を立てます。特定の時間帯や天気によって、同じ場所でも全く異なる感覚が得られることがあります。
- 五感を意識したフィールドワークの実施： 実際に目的の場所を訪れます。この際、スマートフォンやカメラといったツールに頼りすぎず、立ち止まって目を閉じたり、深呼吸をしたり、壁や地面に触れてみたりするなど、意図的に五感を活用する時間を作ります。普段見慣れた場所であっても、意識を変えることで新しい発見があります。
- 記録と思索： 感じたこと、気づいたこと、違和感を覚えたことなどを、その場で、あるいは直後に記録します。メモ、スケッチ、写真、音声メモなど、方法は問いません。重要なのは、単なる事実の記録だけでなく、「なぜそう感じたのか」「他の感覚とはどう違うのか」といった内省を同時に行うことです。アート思考の問いを立てる練習にもなります。
- 情報の共有と解釈： 複数人で活動している場合は、持ち帰った五感の情報を共有します。各自の異なる視点や感じ方を共有することで、より多角的で豊かな地域の姿が見えてきます。デザイン思考の手法である「共感マップ」などを活用し、観察結果を整理・分析します。特定の匂いから地域が抱える産業廃棄物の問題を推測したり、寂れた商店街の「音のなさ」から高齢化やコミュニティの希薄化を感じ取ったりするなど、五感情報から潜在的な課題を読み解きます。
- 気づきからの問いの生成とプロトタイピング： 共有・解釈のプロセスで見えてきた課題や可能性から、アート思考的な「問い」を生成します。例えば、「なぜこの地域の〇〇という匂いは、そこに暮らす人にとって当たり前になっているのだろうか？」「あの場所の静けさは、人々のどのような感情や行動に影響を与えているのだろうか？」といった問いです。これらの問いは、さらなるリサーチや、課題解決に向けた小さな「プロトタイプ」（試行錯誤）のアイデアに繋がっていきます。
地域住民との共感醸成への応用
五感を活用するアプローチは、課題発見だけでなく、地域住民との関係構築や共感醸成にも役立ちます。
- 五感を共有するワークショップ： 地域住民と共に特定の場所を歩き、それぞれの五感で感じたことを共有するワークショップは有効です。「地域の色探し」「地域の音マップ作り」「子どもの頃に感じた地域の匂いを思い出す」といったテーマ設定が考えられます。共通の感覚体験は、参加者間の心理的な距離を縮め、地域への愛着や課題意識を共有するきっかけとなります。
- 体験型イベントの企画： 地域の食を味わうイベント、地域の自然素材を使ったアート制作ワークショップなど、五感を刺激する体験型のイベントは、住民が楽しみながら地域資源に触れ、その価値を再認識する機会となります。デザイン思考のプロトタイピングの一環として、小さな体験イベントを企画し、住民の反応を見ることも可能です。
小規模・低予算での実践ヒントと留意点
五感を活用したアプローチは、特別な機材や大きな予算を必要としません。普段の地域活動やプロジェクト会議の前に、数十分間だけ地域の散策を取り入れることから始めることもできます。
- 身近なツールを活用： メモ帳、ペン、スマートフォン（カメラ・録音機能）があれば十分です。
- 既存活動への組み込み： 住民との集まりや打ち合わせの前に、少しだけ一緒に地域を歩いてみる時間を設けるなど、既存の活動プロセスに組み込む工夫をします。
- 「感じる」ことを楽しむ： 分析や成果を急ぐのではなく、まずは「感じる」こと自体を楽しむ姿勢が重要です。
留意点としては、 五感を通じて得られる情報は主観的であるということです。そのため、複数の参加者で共有したり、他の客観的な情報（データや既存の資料）と照らし合わせたりすることで、解釈の精度を高めることが重要です。また、フィールドワークを行う際は、地域の文化や慣習を尊重し、住民の方々への配慮を忘れないようにいたします。安全確保も常に意識してください。
まとめ
アート思考とデザイン思考による地域課題解決において、五感を意識的に活用することは、データや言葉だけでは見えにくい地域の深層や、住民の潜在的な思いに触れるためのパワフルな手法です。五感を研ぎ澄ますことで得られた「気づき」や「違和感」は、課題の本質を捉えるための新たな問いを生み出し、住民との深い共感へと繋がります。
ぜひ、皆様の地域実践において、立ち止まり、地域の音を聞き、匂いを嗅ぎ、触れてみる時間を意識的に取り入れてみてください。五感を通じて感じる地域のリアルが、きっと新たな発見と創造的な解決策の糸口を与えてくれるはずです。